室内運動競技の形式で段々と認識されつつあるハンドボール。
多くの方にとってハンドボールは、
- 「学校の授業でちょっとやったことある」
- 「ハンドボール投げとかあったなぁー」
- 「宮崎選手がイケメンなのは知ってる」
という程度なのではないでしょうか?
日本国内での競技人口は目下のところほんの僅かしかありませんが、
海外、特にヨーロッパではサッカーやラグビーと同じ程度に人気のあるスポーツだと言ってもいいでしょう。
一層ハンドボールを知っていただく為に、今回はハンドボールの歴史について解説したいと思います!
【目次】
ハンドボールの歴史の起源
ハンドボールの歴史は古く、古代ローマの女性達が「expulsim ludere」と称されていた球技をプレーしていたことこそが起源とされていて、
一致する資料は紀元前600年頃のものと想定されるアテネの遺跡に確認されます。
それ以外にも中世フランスや、グリーンランドのイヌイットの中に於いてハンドボールに似通ったゲームが実施されていた資料があり、
19世紀以前に全世界の色んな国と地域でハンドボールを髣髴とさせる球技が存在していたそうです。
19世紀最期にデンマークのホルガー・ニールセンが7人制を生み出し、
続いて1910年代にドイツでコンラッド・コッホが11人制を作り出したのが現代のハンドボールの起こりです。
ワールドワイドに波及していくハンドボール
ハンドボールのパイオニア的なインターナショナルマッチは男子が1925年のドイツ対ベルギー、
女子は5年後の1930年にドイツ対オーストラリアの競技会が開催されました。
少し経つと1928年に国際アマチュアハンドボール連盟が誕生し国際ルールの統一化が施されました。
そういう背景から1938年にドイツで初めてのハンドボール世界選手権大会が敢行されます。
その後1976年に国際ハンドボール連盟が結成されたのです。
当初は11人制が大半でしたが、女子は1962年、男子は1967年世界選手権から7人制で統制されました。
ハンドボールと国際オリンピック競技大会の歴史
ハンドボールが国際オリンピック競技大会のオフィシャル種目に初参加したとされるのは1936年の第11回ベルリン大会です。
しかしながらその後オリンピック正式競技から除外され、再度オリンピックの正式競技と見なされて復興したのは1972年の第20回ミュンヘン大会です。
このミュンヘン大会については日本の男子チームも参加していたようで、女子ハンドボールが採用された1976年の第21回モントリオール大会の際は日本チームは男女揃って参加し、想像以上に注目を浴びました。
日本ではまだ知名度の低い競技ではありましたが、海外ではサッカーと同じくらい流行している競技という形で人気を博しました。
日本におけるハンドボールの浸透の歴史
日本にハンドボールがもたらされた契機は、1922年(大正11年)に大谷武一氏が大日本体育学会で、11人制を教えたのが要因でした。
国際アマチュアハンドボール連盟(IAHF)には日本陸上競技連盟の名で加盟し、1937年に記念すべき第1回全日本選手権が催されています。
第二次世界大戦勃発の前の年に相当する1938年に日本ハンドボール協会が創設されますが、大戦に影響されて「送球」という名称に変更されました。
1948年になるとハンドボールの名称が返り咲きし、終戦から7年後の1952年には国際ハンドボール連盟への加盟が承諾を受けました。
日本ハンドボール、オリンピックへの取り組み
国際オリンピック競技大会への出場は男子が、ハンドボールが新たに正式競技という形で取り扱われた1972年ミュンヘン大会から、1988年のソウルまで5大会連続で代表権を成し遂げています。
女子は、女子ハンドボールが初めて正式競技に採用された1976年モントリオール大会から出場しています。
1991年には広島でアジア選手権を主催するなど熱心な取り組みが挙げられますが、メダルの獲得はありません。
2016年のリオデジャネイロ大会におきまして、男女ともに出場枠を取り逃す成績となりました。
しかしながら、2020年に東京オリンピックが決定したこともあり、選手団のサポートは当然の事、ハンドボールの競技人口の増大や一般化等が注目されます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
日本では現在でも関心の深さが低めのハンドボールですが、
車椅子ハンドボールの発足やビーチハンドボール大会の開催など、
その競技としての関心度は上昇しつつあります。
2020年の東京オリンピックに向け、まだまだ発展途上にある日本のハンドボールを応援していきましょう。



